歴史散策コース(西コース)
武蔵村山市は武蔵野台地に島のように存在する狭山丘陵の南麓に位置し、市域には丘陵によって育まれた豊かな自然と人々の暮らしが織りなす歴史と文化があります。こうした地域の歴史や文化を伝えるかけがえのない貴重な財産である文化財を保護・保存することの大切さをより多くの人々に広める一貫として「むさしむらやま歴史散策コース」は設定されました。
当初の設定から約40年が経過し、道路状況等の変化などから既存の市北部地域の東と西のコースについて、それぞれ1コースだったものを、東を3コース、西を2コースに再編しました。また、新たに市南部地域に南東コースと南西コースの2コースを設定し、全7コースになりました。
各コースの詳細なルート図については、歴史民俗資料館本館、市政情報コーナー(市役所1階)で販売しています。
(令和3年3月発行、A4判、20ページ、200円)
西コースの概要
西コースには全部で13のポイントがあります。
昭和56年に設定された当初は、延長約7キロメートル、徒歩で約4時間のコースでしたが、昨今の道路状況等の変化などからコースを2つに分割しました。
分割したコースのポイント順は順不同ですが、ポイント番号は変更していないので、当初のコースのように番号順で巡ることも可能です。
西1コース(6ポイント)
延長約3.2キロメートル、徒歩約50分
歴史民俗資料館
本町5-21-1
昭和56年11月3日開館。武蔵村山の「自然・歴史・民俗」についての常設展示をはじめ、季節ごとの展示や企画展などを開催しています。市指定有形文化財の「人面装飾付土器(把手部位破片)」と「中世常滑窯大甕」は常設展示を行っています。
西(1)野山北公園【のやまきたこうえん】
本町5-31-24
昭和52年(1977)開園。
狭山丘陵(都立野山北・六道山公園)の一角にある約18,000平方メートルの市立公園。
狭山丘陵の自然保護と市民の健康づくりを目的に開園し、運動場・プール・つり池などが設置されています。
早春にはカタクリの花の群生が観察できます。
西(2)六地蔵【ろくじぞう】
本町5-41-2
形状は宝塔型を呈し、三面に2体ずつ地蔵が彫刻されています。
峰地区の火葬場(通称:焼き場)跡に建てられており、明治30年(1897)8月から11月にかけて大流行した赤痢による死者を供養するために造立されました。
西(10)十二所神社【じゅうにしょじんじゃ】
三ツ木5-12-6
創建年代不明。社伝では和銅年間(708~714)の創建といわれています。明治時代に記録された『社寺取調書』によると、朝廷への貢物である初穂を供える場所として存在していたといい、この地域は貢物を調製する「貢村」と呼ばれていたが、鎌倉時代に境内に植わっていた三本の大木にちなんで村名を「三ツ木村」にしたという伝承が記されています。境内には神明社・山王社・愛宕神社・疱瘡神社・八坂神社が合祀されています。夏に行われる八坂神社の祭礼では三ツ木天王様祇園ばやし(市指定無形民俗文化財)が奉納されます。
西(11)滝の入不動尊【たきのいりふどうそん】
三ツ木5-9-5
滝の入不動尊のあるこの地には狭山三滝のひとつである「白糸の滝」という湧水があり、古代より御神水として伝えられています。滝の近くには2体の倶梨伽羅不動が祀られており、そのうちの1体は延宝3年(1675)造立であることから古くから信仰されていたことが伺えます。
境内は滝の入遺跡の範囲となっており、縄文時代の土器や古墳時代の住居址が確認されています。
西(12)長圓寺【ちょうえんじ】
本町3-40-1
龍澤(沢)山長圓寺と号し、永禄11年(1568)に華山秀呑和尚により開山されたといわれています。
天保年間(1830~1843)と嘉永5年(1852)の二度の火災により山門を除くすべての建物が焼失。本堂は文久年間(1861~1863)に着工し、明治初期に再建されました。境内には江戸時代初期の地頭であった大河内氏の墓石が建てられ、市の旧跡に指定されています。また、毎年春には横田・中村・馬場地区を巡る横中馬獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納されています。
西(13)村山織物協同組合事務所【むらやまおりものきょうどうくみあいじむしょ】
本町2-2-1
昭和3年(1928)竣工の洋風建築様式を取り入れた木造2階建ての建物で、村山大島紬の品質管理などを行う村山織物協同組合の事務所として建てられました。アジア・太平洋戦争後の昭和20年(1945)に、多摩陸軍飛行場(福生陸軍飛行場・現在の横田基地)と共に進駐軍に接収され、事務所2階はダンスホールとして改装されましたが、翌21年(1946)に返還。翌22年(1947)には組合の活動を再開しました。内部には村山織物に関する資料室があります。見学などのお問い合わせは組合事務所(電話042-560-0031)へ。
西2コース(7ポイント)
延長約2.1キロメートル、徒歩約30分
西(3)ジュウガ池【じゅうがいけ】
岸5-31-1
古くから三方入田んぼの灌漑用の水として利用され、地域の水田稲作農業の水源として水利史上重要な役割をもつ池です。
伝説では、ジュウゾウという人が河童に引きずりこまれ死んでしまい、「ジュウガ池」と呼ぶようになったといわれています。池に入ると河童(水カマキリ)が尻から入って内臓を食べてしまうと言い伝えられています。
西(4)禅昌寺【ぜんしょうじ】
岸3-37-7
岸清山禅昌寺と号し、正長元年(1428)、恵山(三)和尚により開山されたと伝えられています。
本堂は江戸時代に強風で倒壊し、文化14年(1817)に再建され、昭和46年(1971)に現在の本堂が建てられました。
境内にある観音堂は文禄3年(1594)に創建され、天保3年(1832)に青梅街道沿い(岸交差点付近)から移されたもので、狭山三十三観音霊場の二十四番札所となっています。
西(5)須賀神社【すがじんじゃ】
岸2-24-3
創建年代不明。
本殿は北方の丘陵に鎮座している文治年間(1185~1189)に建てられた「奥の院」。本殿が遠く信徒の便宜をはかるため、寛政2年(1790)に現在地へ社殿(旧拝殿)が建てられたといいます。江戸時代には「牛頭天王社」などと呼ばれ、明治30年(1897)に須賀神社と改称されました。
奥社境内には愛宕神社・熊野神社(二社)・神明社、本殿境内には蚕影山神社が合祀されています。
西(6)岸の石仏【きしのせきぶつ】
岸1-26-1
2基の石仏が並んでおり、庚申塔と馬頭観音のいずれも文化4年(1807)に造立されました。
庚申塔の形状は山状角柱型を呈し、正面上部に日月瑞雲を配し、正面中央に「庚申塔 講中」、右側面には「文化四年丁卯二月吉日」、左側面には「武州多摩郡岸村」と文字が彫り込まれています。
馬頭観音の形状は平柱状を呈し、正面に「馬頭観世音菩薩 講中」、右側面には「時 文化四年丁卯二月吉辰」、左側面には「武州多摩郡岸村 南 八王子 大山道」の文字が彫り込まれ、道標の役割もしていました。
西(7)宿薬師堂【しゅくやくしどう】
三ツ木3-22-3
創建年代不明。伝承では慶長10年(1605)頃の創建といわれています。
本堂は大正14年(1925)に南向きへと改築し、公会堂も併設されたが、昭和15年(1940)3月 に火災によって焼失し、同年10月にもとの東向きに再建されました。
毎年10月8、12、22日は縁日で、薬師念仏鉦はり(都指定無形民俗文化財)が奉納されています。
西(9)宿の子育地蔵尊【しゅくのこそだてじぞうそん】
三ツ木3-22-3
造立年代不明、伝承では享保4年(1719)造立といわれています。
もとは青梅街道の辻(三ツ木歩道橋付近)にありましたが、平成21年(2009)に宿薬師堂境内に移されました。
以前は子授け祈願のために祀られていましたが、小堂を建てた際にその周囲の家々が子宝に恵まれたことから、今では地域の子育地蔵として信仰されています。
西(8)赤稲荷【あかいなり】
三ツ木3-23-2
嘉永2年(1849)に稲荷総本宮より勧請し、地域の人々からは「赤稲荷」と呼ばれています。
もとは屋敷神(家の屋敷地や隣接の山林・田畑などに祀られる神)でしたが、村人の懇願により文久4年(1864)に人々の参詣しやすい道路沿いへ移されました。その後、三ツ木地区の鎮守となり、昭和34年(1959)に青梅街道拡張にともない現在地へ移されました。
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